茨城県日立市の隠れ家。太田尻海岸 うのしまヴィラ
日立市の海岸線にはいくつもの海水浴場が在り、日立市民と海との関係は切っても切れないと言える。そんな日立市の海岸線沿いにひっそりと佇むのが、今回の「うのしまヴィラ」だ。
ドラマや映画、ミュージッククリップのロケ地にもなるなど、知る人ぞ知る隠れ家的なリゾートスポットだ。
今回、お話を聞いたのは代表取締役で館主の原田実能(はらだみのう)さんだ。
震災からの再起。海辺のリゾート感あふれる佇まい「うのしまヴィラ」
ー自己紹介をお願いします!
有限会社鵜の島温泉旅館、代表取締役の原田実能(はらだみのう)です。館主といった方がわかりやすいですかね。
屋号としては「うのしまヴィラ」です。
ー創業からのことを伺えますか。
1959年に初代のお祖父さんが、ここに鵜の島温泉旅館として、旅館を建てたことが始まりです。元々この地は江戸時代からずっと海辺に温泉が湧き出ていた場所でして、潮が満ちると海に沈んで、潮が引くと源泉が顔を出す。その源泉を汲んで家に持ち帰って沸かしていたそうなんです。
初代のお祖父さんは戦時中は八百屋の卸業をしていて、日立工場の近くにお店があって。6月10日 日立空襲の艦砲射撃で焼け野原になってしまったんです。それで戦後、新天地を求めて、ここの源泉を利用して旅館が始まりました。
二代目の両親、私の奥さんの両親、が2代目として引き継いで、有限会社にして。そのあと私たちが引き継いで三代目としてやっています。
ー原田さんが旅館を引き継ぐことになったいきさつはどんなことがあったんでしょうか。
実は今から28年前、二代目の母が病気で倒れまして、急いで旅館を引き継いで欲しいという相談を受けました。それから日立に来て、日立の市民になって。ひとまずは鵜の島温泉旅館の社員として。震災の2年前、2009年に二代目の父が亡くなってから、代表取締役として三代目を引き継いだという感じです。
ーということは、原田さんはご出身はどちらなんですか?
私の生まれは、広島県府中市の生まれです。新幹線の停まる福山駅からローカル線で40分くらいのところですね。
ー広島の生まれなんですか。奥様とはどの様に知り合ったんでしょうか。
東京で、私が一目惚れをしまして(照笑)。
それで広島に二人で帰って、好きな仕事をしながら生活をして。ゆくゆくは奥さんの実家のこの旅館を継ぐことになるだろうなとは思ってました。
とはいえ、先述の様に母が倒れて、考えていた時期よりも20年も早く日立に来ることになったんですよね。神のお告げと言ってはおかしいですが、そのタイミングで日立に来られたことは今思えば良かったかなと思うんです。仮にそのまま広島で好きな仕事をして、今から数年前に日立に来ていたらどうなっていたのかなと。
人と人とのつながりとか、茨城・日立への郷土愛とか地元愛とかって長い時間をかけて暮らして培うものだと思うんですよね。だから早い段階でこちらに来られて良かったなって。
ー旅館を引き継がれた直後、東日本大震災がありましたよね
そうですね、3月11日の震災は鵜の島温泉旅館のそのものの方向性を大きく変える事件でした。当時の旅館は白い土壁の建物で、地震によって壁は落ちてひび割れて。生半可な修繕ではどうにもならないなと思いました。私たち夫婦の中では、もう旅館業は終わった、絶望的だと思っていました。
それでも、いろんな方達のご縁をいただいて、応援してくださる方がいて。鵜の島温泉旅館からうのしまヴィラに生まれ変わって。全く新しいスタイルで再開しました。
再開までにはおよそ3年の月日が在りましたが、あの震災があったからこそ今がある、と言える出来事だったと思います。
ーうのしまヴィラという新しい名前の由来は
この名前にたどり着くまで1ヶ月以上悩みました。
想いとしては、以前までの鵜の島温泉旅館の考え方は継続していきたかったので「うのしま」という言葉は残したかったんです。
何かうのしまに続く言葉がないかと。シーサイド〜とかリゾート〜とかいろんなことを考えたんですが、後に着く言葉が素敵すぎるとその言葉で呼ばれてしまいますよね。それは違うかなと。
なので「うのしま」が引き立ちつつも、この場所をわかりやすく表現できる言葉を探していました。
ある時、奥さんが「うのしまヴィラ」ってどうかな。というので、それを聞いてピンときたんです。お互いにそれがいいねと合点して、決まったんです。
休館中はスタッフとチームとしての結束を深める時間に。
ー新型ウイルス感染症の影響はありましたか。
震災の時と比べると、震災時は東日本だけでしたので、他の地域からの応援があって。そこからいただいた元気がありましたよね。でも今回のウイルスは日本だけでなく全世界を飲み込んだ災いでしたから、何をどうやって行けばいいのかわからない状況でした。なので、自分の中で色々と慎重に対応していかないといけないなという思いはありましたね。
私たちの仕事は人が集まって初めてお仕事として成り立ちますよね。その上でこの場所でどう楽しんでいただくかを考えるのがサービス業、おもてなし業の醍醐味でしたから。それ自体が出来ない状況になってしまったので、かなり色々と考えました。
ーそうですよね、営業面ではどの様な対応をされたのですか
一応4月18日から5月21日まで全館休業をしました。学校が休校になってスタッフは皆んなパートさんなので家族やお子さんとの時間を確保しなければならない。誰かがきて、そこから感染が拡がってもいけないですから、それで休館という判断をしました。
売り上げ的には上り調子でいい感じできていました。感染症のおかげで、4月以降の売り上げはガタッと落ちてしまいましたね。
ー休館中に取り組まれたことはありますか。
かなりスタッフが育ってきていて、いい感じになってきているんです。感染しない様に対策をすることと同時に、スタッフの気持ちやモチベーションを落とさない様にすることも必要だと考えたんです。なので、週に1度全員が集まる日を設けて、お掃除をしたり、おしゃべりをしたり、ゆっくりとお茶をしたりという時間を取りました。
特に通常営業をしていると、大々的な掃除は出来ないので、机や椅子を動かしての大掃除はしました。それに合わせて、ずっと気になっていた床のワックスがけもしました。
そういったことをしていくうちに、社員教育の面では、ここが自分の職場なんだ、生活の源になる場所だという意識を持つための時間になったかな。というのは良くいえばコロナのおかげかもしれませんね。
ーご自身は休館中どの様に過ごされてましたか
自粛期間中はずーっと奥さんと二人で、海が見える窓辺にソファを置いて海や波、たまに海岸を歩く人を眺めながら過ごしてたんです。
再開するときに、そのソファをそのままにしようってことになって。6月いっぱいは海が見えるソファ席として配置してありました。いらっしゃったお客さんからは、ここにソファありましたっけ?って言われたりしたんですが、一番にご来店された方限定の特別な席ですよ。と言って。
カップルやご夫婦、二人でいらした友達同士の方など。結構評判良かったんですよ。
目の前に広がる海、砂浜。そして茨城食材を使用した うのしまオリジナル料理
ーうのしまヴィラの自慢ポイントを教えてください!
この目の前の海岸ですね。小さな海岸ですが、きちんとした名前がありまして、「太田尻海岸」といいます。
文献によれば、すでに850年前ごろには太田尻海岸と呼ばれていたそうです。
海岸の左手には、裸島(はだかじま)という島があって、今は岩だけみたいな感じですけど、結構な大きさの島だったんです。
初代のお祖母さんが、その裸島にたくさんの鵜が止まっているのを見て「うのしまだね」ということで通称うのしまということになったんです。
実はこの海岸は850年前に西行法師という人が訪れて、歌を詠んだ場所でもありまして
太田尻 衣はなきか はだかじま 沖ふくかぜは みにはしまぬか
という歌も残っています。
ー歴史的にもすごい場所なんですね、お料理はいかがでしょうか。
お料理については、鵜の島温泉旅館時代はいわゆる旅館の料理で、一気にお料理を並べて、その後温かいものをお出しする様な形だったんです。
うのしまヴィラになってからは、スタイルをガラッと変えました。奥さんがキッチンに入って、私が表に出る様になったり。客室数を減らしたことでお客様と接する時間を長く持てる様になりましたので。お料理の出し方も変えて、コース仕立てで出す様になりました。
再建を考えている間に、再開できたら何を売りにしようか、と考えたところ、茨城のものを出す様にしようと考えたんです。結構お客さんの中で日立だけではなく茨城のものを体験したいという方が多くいらっしゃったので、茨城全体のもので勝負しようと考えました。
茨城は農産物がとても美味しいものが採れます。ですので、野菜ソムリエの資格を取得して、いい農家さんとの出会いがあったりして。また茨城は納豆が有名ですが、納豆だけではなくて「発酵食品」というキーワードではどうかということで日本伝統の発酵食品である「醤(ひしお)」というものを作る技術を学んだりしました。(ひしおは醤油や味噌の元になった調味料。)
ですから、地元野菜と発酵食品を軸にした、体にやさしいお料理にすることになりました。
お料理自体は見た目は洋風のお料理ですが、実際は出汁をしっかりと引くなどして、和食の技法をベースにした洋風のお料理を出す様にしています。洋風の料理をお箸で召し上がっていただく。そんなスタイルのお料理ですね。
例えばオムライスにしても、和風あんかけオムライス、と言った具合です。うちでは特に「うのしま風」と言ったりしますが、和風とほぼ同意義で。和の作り方でできた洋食ですよという様な意味合いです。
なので、ヘルシーっていうのもカタカナではなくて平仮名で「へるしー」って書いたりとか(笑)
地元茨城の魅力を見直して深堀りしていく。そのスタート地点になっていきたい。
ー今後の目標などはありますか
コロナ禍によって、再認識したのは、今までやってきたことを深掘りする時代がやってきたんだな。と思いました。
マイクロツーリズムと言って、地元、地域を観光しよう、旅しようという考え方が最近話題になってきました。私たちは地元愛が強くなればなるほど、ある意味何もない茨城の良さに気づくことに繋がって、何もないからこそ茨城がいい土地であるということが、個人的な郷土愛の価値観の中心にあるんです。
だからこそ、地元の方々に地元の良さを知って頂くことこそが、うのしまヴィラの一つの仕事かなと、感じていたので。マイクロツーリズムという言葉や考え方が、いよいよ取り上げられる時代がやって来たんだなと。元々うのしまヴィラやこのレストラン海音(しーね)は地元の良さをお伝えするための場所だと思っています。
この周辺だと寺社仏閣でいえば隣県で日光があったり、地元では御岩神社などがありますけどね。地元のそう言った場所に自ら身を置くことで、自分をもう一度発見できたり、自分の大切な人を再認識したり。こう言ったことをうのしまヴィラでは「深日常」と言ってます。
深日常というのは、非日常を経験しながら、自分の身の回りの様々なことを再度確認して、それらの素晴らしさを再認識できることを言います。
茨城での体験は、何もない様に感じられるかもしれませんが、無くなってみて初めてわかる様なことが生活の中に沢山あって、それ自体が茨城の素晴らしさであり、宝物なのではないかなと思います。
そう考えると、今あるこの風景や地元の食材を大切にして、地元を誇っていく、自慢していくこと。それをさらに深掘りしていく。これを続けていきたいと思いますね。
店舗アクセス
太田尻海岸 うのしまヴィラ
住所:茨城県日立市東滑川町5-10-1
TEL:0294-42-4404
WEB:https://unoshima-villa.com/